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School_Logo-s.jpg (2151 バイト)シンガポール日本人学校沿革史

初めてシンガポールに日本人のための学校ができてから現在までの沿革です。
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補習校時代

補習校時代 シンガポールに、初めて日本人のための学校ができたのは、1912年で今からおよそ90年ほど、前のことです。場所はミドルロードでした。1941年には、第二次世界大戦のために閉校を余儀なくされました。
1964年には、国語と算数の補習授業が始まりました。同時に、全日制日本人学校設置のための活動が活発に行なわれました。

ダルベイエステート校時代(196693-19683月)

ダルベイエステート校時代 教員3名、児童数27名で開校しました。この時にシンガポール政府より、私立学校として正式に認可されました。このころは、学校の勉強の道具もまだまだたりませんでしたので、先生やPTAの皆さんがずいぶん苦労したようです。

スイスコテージ校時代(19684-19717月)

スイスコテージ校時代 児童数の増加により、スイスコテージ校に移りました。学校の目標や決まりもできました。中学部の補習授業も始まりました。

ウエストコースト校時代(19718-19753月)

ウエストコースト校時代 日本人学校三番目の校舎です。校庭や校舎がとても広くなりました。家庭科室や図書室などの特別教室もできました。しかし、学校にはクーラーもなく、扇風機が一日中ブンブン音を立てて、まわっていました。

クレメンティ校時代(19754-19953月)

クレメンティ校時代 現在のクレメンティ校の前身である校舎は、シンガポール日本人会を中心にして多くの企業の方、日本政府の援助で素晴らしい校舎が完成しました。体育館・プール・運動場・放送室ができました。1984年4月には小中学部の校舎を分離し、ウエストコーストに中学部校舎が新築・移転しました。

    三校体制時代(1995年4月- )

平成7年度には、小学部は児童数増加のためチャンギ校舎を新築し、小学56年生はチャンギキャンパスに移り、日本人学校は、三校体制になりました。
平成10年度(1998年)には、小学部において学区制を敷いた完全二校体制になりました。また、2002年を見越した学校5日制も国内並に導入されました。

国際理解教育の歴史と現在の様子

本校の国際交流の歴史は、開校間もない1968年スイスコテージ校舎の時代に、星日文化協会主催の「シンガポール日本文化の夕べ」への参加から始まりました。その翌年、夏休み作品展及び親善を兼ねた「星日文化祭」が開かれ、学内における現地交流が開始されました。

その後70年代の交流は、シンガポール在住の国際校とのスポーツ交流が中心となり、特に、国際水泳大会や国際陸上大会への参加、アメリカンスクールとの交歓訪問が多くを占めるようになりました。

80年代に入ってますます盛んになる国際校との交流とは裏腹に、現地校との繋がりが乏しく、学内にて現地校との交流強化を訴える声が多くなりました。

小学部では、1985年、当時美術教育の研究指定校として活発な実践を行っていたテマセク校と継続的に交流を行い始めました。その後、日本人学校クレメンティ校に近いヘンリーパーク校との交流が活発に行われるようになりました。その後近年、クレメンティ校は、低学年はジンタイ校と高学年はヘンリーパーク校と、また、チャンギ校は、1・2年はエライヤス校と3・4年はテマセク校と5・6年はイーミン校との交流を盛んに行い、国際交流の輪を広げています。

中学部は、国際研究部が設置され、交流を更に体系化して行われるようになりました。そこでは星日交換学生プログラム・現地校招待・生徒会交流・国際水泳大会への参加、そして職員のみとなりますがチンゲイパレードへの参加というように文化・スポーツ交流が積極的に行われるようになりました。

学校創立以来39年の歩みの中で、国際交流プログラムは様々な変遷を経て、現在の形態に至っています。

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